2017年 04月 19日
中山道ウォーキング事前学習会
 4月18日(火)富山市のサンシップ6Fで、定例の「みぁらく塾」があり、今回は6月4~5日予定の中山道ウォーキングの事前学習会をしました。
同コースの企画をした自分が担当し、参加者を対象に説明をさせてもらいましたが、手違いにより資料の印刷ができずスライドのみの発表になってしまいました。まことに申し訳なかったです。

昨日、来られなかった方もおられたので以下、説明の概要をアップしました。
なお、資料は20日に5月分のレジメと合わせて送付する予定です。

《事前学習会概要》
  1.中山道について
   ・中山道は、徳川家康が江戸に拠点をおいったことにより、旧来の京都・大阪中心で整備された交通体系を
    江戸中心に改変することに着手した。
   ・5街道の整備 (東海道、中山道、講習街道、日光街道、奥州街道)
              画像をクリックし、レンズのマークをクリックすると拡大します。
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   ・東海道は五十三次 124里 490km
   ・中山道は六十九次 135里 530km
   ・中山道は東海道のバイパス的な位置づけ。
   ・東海道には大きな河川があり大雨の時は川止めがあり、一週間から10日も渡れなかった。
   ・中山道は山岳地を通り、1千m以上の碓氷峠や和田峠、鳥居峠があったが、確実に通れた。   
   ・ともに江戸の日本橋から京都の三条大橋まで、14~15日かかった。
   ・1日当たり30~40km歩いた。
   ・中山道は芭蕉や一茶などの文化人をはじめ、近藤勇や土方歳三なども幕末時に通った。
   ・参勤交代による大名行列も中山道を通たが大名の財政力により、35㎞/日~50km/日も歩いた。
   ・14代将軍に輿入れした皇女和宮は27日もかかった。

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                  中山道69次のマップ

  2.今回歩くコース
   ・長野県と岐阜県境の24kmです。(JR南木曽駅~妻籠宿~馬籠宿~中津川駅)
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  3.標高差は500mです。
   ・初日は馬籠峠までの登りのコース、二日目は中津川までの下りのコースになります。

              画像をクリックし、レンズのマークをクリックすると拡大します。
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  4.ウォーキングマップと見どころ
   ・初日
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   ・二日目
             画像をクリックし、レンズマークをクリックすると拡大します。
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  5.写真など
   ・約50枚の写真をスライドで見ました。
   ・抜粋して載せます。

    スタート地点の南木曽駅です。
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     スタートしてすぐ「かぶと観音」に出ます。
     妻籠に砦を築いた木曽義仲が北陸路に出撃せんとする時、鬼門の守りに兜前立の観音像を外してここに
     祀ったのがかぶと観音の起こりと伝わります。
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     竹林のなか緩い登りの石畳が続く
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     妻籠城跡に寄ります。 城址から妻籠宿が見える。
     豊臣秀吉と徳川家康が小牧・長久手の戦いで対立したとき秀吉方の木曾義昌が建てたもの。その時、
     家康の軍に攻められたが落城しなかった堅城である。
     徳川方は、すぐに落とせると侮り攻め寄せたが、約三百の守備兵の士気は旺盛で、徳川方は返り討ちに
     遭い甚大な被害を受けた。
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     妻籠宿の入り口にある高札場
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     妻籠宿
     妻後宿は、入り口付近が下町、そして中町、上町と続き一番京都側が寺下と呼ばれている。
     本陣1、脇本陣1、旅籠31軒であったが、町全体としては総家数83軒と少なく、木曽11宿では
     一番小さい宿場であった。
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     妻籠宿脇本陣
     脇本陣奥谷(わきほんじん おくや)は代々脇本陣・問屋を勤めた家で、現在の建物は明治10年に
     それまで禁制であった桧をふんだんに使い建てられました。現在は博物館施設として公開しています。
     島崎藤村の初恋の人「おゆふ」さんの嫁ぎ先
     ほかに妻籠宿本陣がある。庄屋を兼ね、島崎藤村の母の生家でもある。
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     妻籠を過ぎると大妻籠に入る。この石畳を登ると集落へ
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     妻籠宿保存地区内の一地区であり、街道端に袖卯建(そでうだつ)をもつ出梁作だしばりづくりの
     民家が軒を並べます。
     妻籠宿、大妻籠から馬籠宿へとつづく中山道はここをすぎ、下り谷をすぎると人家はとだえ、
     森閑とした山道がつづきます。
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     九十九折の石畳
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     男滝と女滝
     吉川英治の小説「宮本武蔵」の舞台となった滝であり、小説では武蔵とお通の情念の恋の場として
     登場します。女滝(めだき)は省略します。
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      初日のゴール先、馬籠峠です。標高801m
      ここで待機のバスに乗って、宿泊先の「ホテル木曽路」へ向かいます。
    
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     二日目
     二日目はホテルから馬籠峠に戻り、スタートします。

     スタートしてすぐに峠の集落に出る
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     馬籠宿
     馬籠宿は本陣1、脇本陣1、旅籠18軒。本陣は庄屋、問屋を務めたのが島崎家で島崎藤村の生家です。
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     藤村記念館 かって本陣跡が記念館になっている。
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     十曲がり峠
     新茶屋の一里塚を過ぎると、見事な石畳が約800mにわたり再現されている。
     途中、何か所かは江戸時代のままの石畳がある。
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     落合宿
     44番目の宿場・本陣1、脇本陣1、旅籠14軒の宿場
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     落合宿本陣
     「井口家本陣跡」この門は大火後に加賀藩前田候から贈られたものと云われている。
     井口家には皇女和宮や明治天皇も御小休みされた上段の間や、小姓の間などが当時のまま保存されて
     いるという。今も住居として使われていることから一般公開はされていない。
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     尾州白木改番所跡
     木曽桧の領外搬出を厳しく取り締まっていた尾州は、天明2年(1782)から明治4年(1871)
     まで、ここに番所を設けていたのである。
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     中津川宿
     中津川宿は本陣1、脇本陣1、旅籠29軒の大きな宿場であった。
     天保14年(1843年)で、総家数は228軒もあったという。
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     中津川駅にゴール
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     ここで,宿場でよく使われる用語を解説
   ◇本陣・脇本陣
    本陣は身分の高い人が泊まる宿場の中心的施設で、大名のほか、公家、勅使、宮、門跡、旗本などが
    利用できた。宿泊客が多い時には、脇本陣も用いられた。
   ◇問屋
    本陣・脇本陣と並ぶ宿場の中核的施設の一つで、馬の手配や次の宿場までの荷物の受け継ぎなど、人馬の
    継立を行い、いわば鉄道の駅のような存在であった。
   ◇立場
    正式には人足の休憩場所だったところ。だが、茶店などが置かれている場所が多く、一般の旅人も休憩に
    利用する場合が多かったという。
   ◇旅籠・木賃宿
    一般の旅人が利用した宿泊施設。
    食事付きのものが旅籠、食事なしのものが木賃宿である。
   ◇高札場
    幕府や領主の最も基本的な法令を書き記した木の札(高札)を掲示した施設で、江戸時代6万を越える全国
    の村々に存在していた。多くの人々の目に 触れるように、村の中心や主要な街道が交錯する交差点といった
    人通りの多い場所に 設置された。
   ◇白木改番所跡
    木曽から移出される木材を取り締まるために設けられたもので、檜の小枝に至るまで、許可を示す刻印を焼
    いてあるかどうかを調べるほど厳重だったと言われている。
   ◇一里塚
    徳川幕府は、江戸・日本橋を起点として、主要街道にそれぞれ一里(約4.0㎞)ごとに一里塚を築きました。
    一里塚は、通常道の両側に築かれ、塚の上には榎木が植えられていました。
   ◇追分
    街道が左右に分岐するところで、各地で地名として定着しています。茶屋が置かれている場合が多く、休憩
    場所として利用されました。
   ◇桝形
    宿場の出入口、または宿内の街道を鍵の手に折り曲げ、場合によっては石垣を組んでカーブ等をつくり、
    敵の侵入に備えたものです。


   ☆ 最後に、宿泊するホテルと、二日目のランチ場所&入浴場所です。
    《ホテル木曽路》
      妻籠宿や馬籠宿でも泊まれるのですが、大きな温泉でゆっくり入浴できるホテルにしました。
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     露天風呂です。
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     夕食はバイキングです。
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     つづいて、二日目のゴール後のランチと入浴場所です。
     中津川駅にゴールしたあと、恵那峡近くの「道の駅・三菜園」でランチを、さらに「簡保の湯」で
     入浴して恵那ICから東海北陸道で帰路につきます。
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     道の駅・三菜園
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     ランチは各自の注文ですが、時間的に効率が悪いのでまとめて予約することにしました。
     メニュー:恵那鶏・牛肉すき焼き、ワカサギ甘露煮、厚焼き玉子など 1080円
     費用は別料金なので、当日、集めます。
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     簡保の湯
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     お風呂です。
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     以上、事前学習会の概要でした。
     









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by pckuri | 2017-04-19 08:31 | その他 | Comments(0)


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